『公文は教えてくれない!』という声をよく聞きます。
実は、これって本当のことです(^^♪
でも、『公文に通っている子はよくできる』という話もよく聞きますよね♪
実はこれも本当の話です。2つの意見は一見矛盾しているように聞こえますが、結論からいうと『公文は教えないから、できるようになる』のです。
なんかよくわかりませんよね。
それでは、『公文式はなぜ教えないのか』、『公文式はなぜ教えないのにできるようになるのか』そのあたりの話を詳しく説明したいと思います。
教えてもらうことのデメリット!
塾に通わせる親御さんとしては、『教えてくれない』というのは不安に思うことでしょうね。
塾に通えば、『学校では教えてことも教えてくれて、さらに成績が伸びるのではないか』と期待するのではないでしょうか。
しかし、学校では教えすぎているような気がします。
実は、最近公文の教室に通っている小学校4年生の男の子が、学校の算数の問題がわからないというので教科書を見せてもらいました。
そこには、このような問題が出ていました。
2.4 □ 0.9 < 2.4
□の中には、”÷”と”×”のどちらの符号が入るでしょうか。
この問題の前に、『1より小さい小数で割ると、「商」は元の数より大きくなる』という解説がありました。
恐らく、どこか他のページには、『1より小さい小数で掛けると、「積」は元の数より小さくなる』という解説があるのでしょう。
『総合的な学習』とか『考える力を身に付ける』という名目でこのような問題が出題されるのだと思いますが、小学4年生にこれを理解させるのは大変です。
クラスの半分ぐらいは理解できないのでしょうか。先生が一所懸命に教えようとしても生徒は理解できない。このような状態では子どもたちも勉強が嫌になるし学力も付かないと思います。
では、いったいなぜ『教えることが学力の向上につながらない』のでしょうか?
教えてもらわないと問題が解けないということは、少し問題が難しくなったり、別の問題が出題されると自力では解けないということです。
子どもが小さいうちは、親御さんが教えてあげられますが、親御さんが仕事で忙しかったり、子どもが成長して学年が上がると問題が難しくなって学習塾に頼るようになります。
そして、高校受験や大学受験を迎える時には、どの問題が出題されるのか『予備校』に教えてもらうようになります。
苦労して大学に進学しても、『大学では教授が何も教えてくれない』と嘆くようになるのです。
さらに、就職して社会に出てからも『資格取得』のために通信教育や予備校でどのような問題が出るのか模範解答を教わろうとするのです。
いつまでたっても教えてもらうという悪い癖から抜け出せないになってしまうのです。
教えてくれないのに、公文の学習生はなぜできるようになる!
それでも、『教えてもらわずにどうやって学力を伸ばしていくのか』という疑問はぬぐえないでしょうね。
『教えてもらわなくても、公文式教室に通っている子どもがぐんぐん成績を伸ばしている』カラクリも理解できないことだと思います。
公文式では、『公文教育研究会』で作成したプリントを淡々と解いていくだけです。
公文教室に通う子どもにとって、プリントに出題された問題を解いていくことは何かを学ぶ『学習』というよりも『作業』なのです。
『作業』だから何度も繰り返していれば、ほとんど考えずに問題が解けるし間違えることもありません。考えるから間違うのです。反射的に答えが出れば間違うこともありません。
『学びの場では、どうやってするかよりも、なぜそうするのかの方が大事だ』という風潮がありますが、本当にそうでしょうか。
あなたが、車の運転をできるようになった過程を思い出してもらうと、教習所に通って学科の勉強をして交通ルールや車の運転方法を学んだと思います。でもそれだけでは、実際に車の運転はできませんよね。教習所のコースで実際に車を走らせ仮免をとって実際の路上を何度も走って体に運転方法を染み込ませたことでしょう。
今では、何も考えずに助手席のひとと会話をしながら運転できると思います。
公文式の学習も同じです。車の構造が分かっていなくても車の運転ができるように、分数の割り算は分子と分母を逆にして掛けるのか理由がわからなくても淡々とその作業をこなしていけばいいのです。
子どもの学習にとって『考えない』ということは厳禁と思われるかも知れませんが、例えば誰もが経験した『九九(掛け算)』の暗唱。考えなくても答えが出るようになりましたよね。あれだけは考えなくても答えが出る公認の勉強方法なんですかね。
掛け算がOKならば、足し算だって繰り上がりだって全部反射的に答えがでるぐらい暗記してしまえばよいと思います。
なぜという理由がわからないと先に進めないとしたら、『スマホの仕組みが理解できないとスマホが使えない』ということに陥ってしまうことでしょう。
だから、私はプログラミングを小学校の必須科目にするのには疑問を感じます。これからさらにIT化が進んだとしても、誰もがプログラミングの知識を必要とはしないでしょう。
教室で勉強している時間だけが公文式の学習時間ではない!
わが子を公文式教室に通わせていない父兄にとって、あまり知られていないのが『宿題』という存在です。
『宿題』というのは、教室日以外にやるプリントのことです。
教室日は、週に2回(曜日は教室ごとに設定されています)ですから、残りの週に5日は教室がない日です。公文式教室に通っている生徒は、教室日がない時も公文の教材(プリント)を解いています。
中には、宿題をさぼる子もいますが、公文の会費はプリントを月に200枚解いても、2000枚解いても同じですからたくさんやればやるほどお得ですし、学力も向上します。(宿題の量は、指導者がその子の学力や意欲に応じて適正な枚数分教室日に渡します)
ところで、もし公文式の学習方法が教えることで成り立っていたら、教室日でない残りの週5日間は、子どもたちはどうやってプリントを解くのでしょうか。
小さいうちは親御さんが教えるという方法がありますが、だんだん教材の難易度が上がってくると親御さんが教えるのにも限界がありますよね。
つまり教えるという学習方法では、教える側の力以上の学力は身に付かないのです。
その点、公文式の学習方法は教えるのではなく、教材(プリント)を繰り返し解いていくうちに自然と身についていくものなので、目の前に公文式の指導者がいない自宅学習でも十分学習ができるようになっています。
その秘密は教材(プリント)がよく考えられて作られているからですが、その秘密のひとつに『スモールステップ』という考え方があります。
詳しくは、こちらの記事を参照してください。
ところで、公文式教室の指導者(先生)がまったく教えないわけではありません。
当然、子どもたちがすらすらとプリントを解けない時もあります。そのようにつまずいた時でも指導者がプリント(教材)を見なさいと言います。(答えがそこに書いてあるからです。)
なぜ、そのようになるのかくどくどと解説をしません。たぶん、説明を聞いてもわからないでしょうしね。どうしてもわからない時は、答えをズバリいいます。公文では時間も重要ですからスラスラ解けるまで繰り返し同じプリントを解きます。なぜという説明を聞かなくても自然と解けるようになっています。
こうして教えてもらわなくても自分で問題を解けるようになった子は、自分で学習する習慣が身に付くようになります。誰かに教えてもらわないと先に進めない子とではその差はどんどんひらいていきます。
まとめ
『公文は教えてくれない』って本当です。
でも、教えなくても学力はどんどん身についていきます。
公文教室では、『公文教育研究会』が作成した教材(プリント)を淡々と解いていくだけです。
しかし、教材はとても練り上げられていて繰り返し教材をこなしていくだけで、誰かに教えてもらわなくても自然と学力が身についていきます。
そのため、教室日以外の指導者がいない家庭学習の日でも子どもは自力で学習することができるのです。
もう誰かに教わらないとできない勉強法から脱却しませんか(^^♪
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