マウス、アイコンのPCの原型はアップルMacではなかった!

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PC(パーソナルコンピューター)が、本当の意味で個人向け、家庭向けのコンピューターとなったのは、『アップル』社が『マッキントッシュ(通称:Mac)』を開発し、それを追随する形で『マイクロソフト』社が『Windows3.1』を開発したあたりのことでしょう。

IBM者がパーソナルコンピューターを販売

それ以前は、『IBM』が『IBM PC』というものを販売していましたが、その当時、私はシステムエンジニアとして仕事をしていたので、その時のことをよく覚えています。その頃、システムエンジニアといえば、あくまでも汎用機(メインフレーム)という大型コンピューターで販売・生産・経理などの基幹系システムを企業向けに開発していました。もちろん『パッケージソフト』という概念もなく文字通り一から設計・開発を行っていました。

そして、私たちの職場は『マシン室』という汎用機と磁気テープや磁気ディスク(もちろん外付け)などの周辺装置が格納された部屋とそこに隣接した『システム部』という事務所でした。

下の写真はマシン室という部屋の一例ですが、手前のデスクには『コンソール装置』があって、そこから『オペレーター』が汎用機(大型コンピューター)に向かった指令を出していました。

また、コンソールから何番の磁気テープをセットしなさいという指示を受けてオペレーターが磁気テープを磁気テープ装置にセットしていました。

出典:http://museum.ipsj.or.jp/computer/device/magnetic_tape/0002.html

ところで、汎用機を使って仕事をしているときに面白い現象に遭遇しました。

といっても、汎用機のシステムダウンなので、多方面のユーザーに迷惑がかかりました。

その出来事とは、汎用機が格納されている工場の敷地内が水道設備の点検のため断水することになりました。

工場の水道を管理している施設課は、今回は断水なので停電するわけではないのでシステム部門に連絡する必要がないと思っていました。

そして、断水の日を迎え、汎用機が突然システムダウンを起こしました。

システム部門は突然のシステムダウンに大慌てでしたが、汎用機メーカーの『日本IBM社』に連絡をとると、その原因が断水によるためのシステムダウンということがわかりました。

私は最初は断水とコンピューターのシステムダウンがどう関係しているのかわかりませんでした。

IBMの説明によると、この汎用機の冷却装置が『水冷式(水で冷やすタイプ)』であるということでした。

今でこそ、大型コンピューターは『空冷式』(もしくは事務所においてもOK)ですが、当時は水冷式の機械が主流だったようです。

そういえば、旭川倉庫のオフコンのハードディスクが凍って動かないという事件もありました。

初期のパソコンはディスプレイ、キーボード、OSも別売りだった!

そのような状況で仕事をしていただけに、初めて『IBM PC』を見たときには驚きました。

何せ、今まで見てきたコンピューターというのは、『マシン室』に鎮座していて、その冷却方法も水冷式などという大掛かりなものを使っていたからです。

初めて見たパソコンは机の上にちょこんと乗っかっていて磁気ディスクも『システム装置』というパソコンの本体に収められていたからです。

当然、当時のパソコンはノート型パソコンなどというものはありませんでした。

しばらくして、IBMから『ラップトップ型パソコン』(ラップトップは膝の上という意味)なるディスプレイとシステム装置が一体となったパソコンが販売されるようになりましたが、当時のものは重く、膝の上に置いて作業するのは江戸時代の拷問(『石抱』というらしいです)のようなものでした。

出典:https://www.jiji.com/jc/d4?p=edt907-keijizufu036&d=d4_soc

当時のパソコンは、システム装置だけで100万円以上しました。

ディスプレイ装置やキーボードも別売りでした。

そして、驚くべきことに『OS(オペレーティングシステム)』さへも別売りでした。

OSがなければ、コンピューターはただの箱です。ちなみに、当時のOSは”DOS(Disk Operating System)”なるものでした。磁気ディスクの中にOSが格納されていて、それをメモリーにロードしてはプログラムを起動させていたからです。

そして、アプリケーションソフトといえば、”Word”の前身である『DOS文書プログラム』(”Word”の前身と言っていいのか、どちらかというとワープロみたいなものです)と”Excel”の前身である『マルチプラン』という表計算ソフトぐらいでした。そして、これさへも別売りでした。OSが別売りでしたから当然と言えば当然でした。

ですから、家庭向けのパソコンが販売され始めたときに、OSはもちろん、表計算ソフト、ワープロソフト、年賀状ソフトなどがプリインストールされたオールインワンモデルのパソコンが登場した時は夢のようでした。

マウスとアイコンがパソコンの操作性を劇的に向上させた!

ディスプレイ装置やキーボードも別売りということでしたが、「『マウス』はどうした!?」と思った方もいるかも知れません。そんなものは、この時代には研究室以外には存在しませんでした。

当時のパソコンは、キーボードを使って直接OSに『コマンド』なるものを打ち込んでいました。

ファイルをコピーするだけでも、マウスによる『ドラグアンドドロップ』ではなく、『COPYコマンド』なるものをコマンドプロンプト(DOSプロンプトなどとも言っていました)画面に打ち込んでいました。

それが、パソコンの画面上のデスクトップ(パソコン内の机の上という意味)上に並んだ『アイコン』をマウスでクリックするだけでアプリケーションプログラムを起動することができるようになりました。たいていのことはマウスで直感的にできるようになったのです。

『直感的にできるようになる』どこかで聞いた言葉ですね。そう、ボタンのない『iPhone』などを開発した『スティーブ・ジョブス』が好んで使ったフレーズですね。彼の思想は『よりシンプルに!』でした。『iPod』で曲を再生するにもスリータップ以上の操作を許さなかったようです。

マウスとアイコンによるパソコンの操作の原型はゼロックス社にあった!

ところが、こうしたマウスとアイコンによるパソコンの操作方法(一般に”GUI: Graphical User Interface”という)を考えついたのは、実はアップル社でもなく、『スティーブ・ジョブス』でもありませんでした。

こうしたマウスとアイコンによるパソコンの操作方法を最初に考案したのは『ゼロックス』の研究所でした。

スティーブ・ジョブスは、このゼロックス社の研究モデルを見て直感的に『これだ!』とパソコンの可能性を見出したのでした。

その後、このモデルの改良に取り組んだアップル社とは対象的に、ゼロックス社の経営幹部にはこの研究はあまり評価されずに段々と研究は尻つぼみになっていったのです。

そして、DOS互換機のIBM連合も”GUI”の開発に重きを置くようになり、マイクロソフト社の”Windows”と手を組むようになりました。

実質、マイクロソフトのOSが商用化されたのは、”Windows3.1″からで、マルチタスクが実現するには1995年に発売された”Windows95″を待つしかありませんでした。

それ以来、我々の暮らしは会議中でも電子メールの返信をしたり、ブログの記事を書きながらも『もっと簡単に稼げる方法はないか』とメルマガから送られてきた新しい教材に心を奪われるようなマルチタスク的な仕事をするようになりました(これはウソです)。

 

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